1954年3月1日ビキニ環礁の核実験で起きた第五福竜丸事件を元に東宝は水爆大怪獣映画『ゴジラ』を製作し同年11月3日公開。 身長50mの大怪獣ゴジラは人間にとって恐怖の対象であると同時に「人間が生み出した恐怖の象徴、核の落とし子」として戦争と核兵器の怖ろしさと愚かさを訴える演出姿勢を貫いた。人間が生み出した核兵器により誕生した怪獣を、人間が生み出した核を超える兵器で葬る。単なる怪獣映画ではなく人間の身勝手さを表現した作品となり観客動員数は961万人を記録した。
『ゴジラ』の大成功を受け直ぐに続編の製作を開始、翌年の1955年には第2作『ゴジラの逆襲』を公開。本作で描かれた怪獣同士の対決は以後のゴジラ映画の基礎となり他の怪獣映画にも多大な影響を与え、1962年公開の第3作『キングコング対ゴジラ』は観客動員数1255万人とシリーズ最高記録の大ヒットとなった。そして対戦相手もゴジラと並ぶ東宝の人気怪獣『モスラ』『ラドン』が次々に登場した。
1964年公開の第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』ではゴジラが人類の味方として描かれ、それ以降のゴジラは恐怖の対象としての側面が薄まり、次第に娯楽作品へと路線変更されゴジラの擬人化的演出も見られる様に。そして1972年公開の第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』以降は子供たちのヒーローとして描かれた 。
怪獣ブームも下火となりゴジラも新作公開の度に観客動員数が前作を下回り、それに合わせて上映時間が短縮され制作費も縮小されてしまい大掛かりなセットが製作できず山林のセット主体の作品が続き、戦闘場面には旧作からの流用シーンが多用される様になる。1975年公開の第15作『メカゴジラの逆襲』で観客動員数が97万人と100万人を割り歴代ワースト1を記録、これを受け東宝は巨額の予算が必要となる怪獣映画を休止する事に決定。ゴジラ映画は長い眠りに入った。
昭和ゴジラシリーズ | |||
タイトル | 公開日 | 監督 | |
第1作 | ゴジラ | 1954年11月3日 | 本多猪四郎 |
第2作 | ゴジラの逆襲 | 1955年4月24日 | 小田基義 |
第3作 | キングコング対ゴジラ | 1962年8月11日 | 本多猪四郎 |
第4作 | モスラ対ゴジラ | 1964年4月29日 | 本多猪四郎 |
第5作 | 三大怪獣 地球最大の決戦 | 1964年12月20日 | 本多猪四郎 |
第6作 | 怪獣大戦争 | 1965年12月19日 | 本多猪四郎 |
第7作 | ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 | 1966年12月17日 | 本多猪四郎 |
第8作 | 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 | 1967年12月16日 | 福田純 |
第9作 | 怪獣総進撃 | 1968年8月1日 | 本多猪四郎 |
第10作 | ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 | 1969年12月20日 | 本多猪四郎 |
第11作 | ゴジラ対へドラ | 1971年7月24日 | 坂野義光 |
第12作 | 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン | 1972年3月12日 | 福田純 |
第13作 | ゴジラ対メガロ | 1973年3月17日 | 福田純 |
第14作 | ゴジラ対メカゴジラ | 1974年3月21日 | 福田純 |
第15作 | メカゴジラの逆襲 | 1975年3月15日 | 本多猪四郎 |
『メカゴジラの逆襲』から9年、1984年公開の第16作『ゴジラ』は第1作を踏まえゴジラ以外の怪獣は登場せずゴジラは再び恐怖の対象として復活した。この作品においてゴジラは1954年に一度だけ日本を襲った怪獣で第1作の続編として描かれ、第2作~第15作がリセットされた。1954年と異なり高層ビルが多くなった為にゴジラの身長は80mとなり、5年後の1989年には直接の続編となる第17作『ゴジラvsビオランテ』が公開された。
第16・17作は高齢化した当時のゴジラファンをターゲットにしてストーリーも大人向けのリアル路線だった…しかし『ゴジラvsビオランテ』が高い評価を得たものの観客動員数が伸びず実際の観客は子供が多数を占める。徐々に子供でも楽しめるシンプルな娯楽映画へ…昭和の人気怪獣の再登場・対決路線としてシリーズ化された。
1991年公開の第18作『ゴジラvsキングギドラ』ではゴジラの身長が100mとなり誕生の秘密が明かされる。内容もSF・ファンタジー色が強くなり第18作以降は観客動員数も大幅に向上し大ヒットシリーズとして定着、1995年公開の第22作『ゴジラvsデストロイア』まで正月映画として年1本のペースで製作された。そして「平成ゴジラシリーズ」は第16作~第22作まで同一の世界観で描かれている。
ハリウッド版『GODZILLA』製作が決まり第22作にて平成ゴジラは終了となる。当初1993年公開の第20作『ゴジラvsメカゴジラ』が同じ理由で最終作として製作されていたが、ハリウッド版の企画が遅れていた為シリーズが延長される事となり 第22作劇中で二度目の「ゴジラの死」を描きゴジラ映画は再び眠りに入った。
平成ゴジラシリーズ | |||
タイトル | 公開日 | 監督 | |
第16作 | ゴジラ | 1984年12月15日 | 橋本幸治 |
第17作 | ゴジラvsビオランテ | 1989年12月16日 | 大森一樹 |
第18作 | ゴジラvsキングギドラ | 1991年12月14日 | 大森一樹 |
第19作 | ゴジラvsモスラ | 1992年12月12日 | 大河原孝夫 |
第20作 | ゴジラvsメカゴジラ | 1993年12月11日 | 大河原孝夫 |
第21作 | ゴジラvsスペースゴジラ | 1994年12月10日 | 山下賢章 |
第22作 | ゴジラvsデストロイア | 1995年12月9日 | 大河原孝夫 |
1999年公開の第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』でゴジラは二度目の復活を果たす。この作品で二度目の世界観リセットが行われ、第1作以外のエピソードは一切語られていない。ゴジラは地震や台風などの自然災害と同様に「文明への脅威の存在」として描かれた。
ミレニアムシリーズはこれまでのシリーズと異なり同一世界観を持たず各作品ごとに違う設定で描かれた。第1作と他の東宝特撮映画の世界観を融合させた作品も登場…特撮映画ファンからは比較的評価する意見も出たのだが、観客動員数は300万人から400万人の高水準を維持した平成ゴジラシリーズと比べ、ミレニアムシリーズは100万人から200万人と観客動員数が大幅に減少…従来のゴジラファンには不評だった。
平成ゴジラと同様、モスラ・キングギドラ・メカゴジラなど人気怪獣の再登場路線となったが低迷は避けられず、2001年~2003年までは当時の人気アニメ『とっとこハム太郎』と併映される事になった。その影響で第26作『ゴジラ×メカゴジラ』と第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』の2作は15分前後上映時間が縮小されている…更に2003年の第27作は観客動員数110万人と当時のワースト3位を記録。
技術的にも東宝が目指す…更に高いレベルの新しい作品を創り出す事が困難である…を理由に2004年ゴジラ50周年記念の第28作『ゴジラ FINAL WARS』にてゴジラ映画は三度目の眠りに入った。
ミレニアムゴジラシリーズ | |||
タイトル | 公開日 | 監督 | |
第23作 | ゴジラ2000 ミレニアム | 1999年12月11日 | 大河原孝夫 |
第24作 | ゴジラxメガギラス G消滅作戦 | 2000年12月16日 | 手塚昌明 |
第25作 | ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 | 2001年12月15日 | 金子修介 |
第26作 | ゴジラxメカゴジラ | 2002年12月14日 | 手塚昌明 |
第27作 | ゴジラxモスラxメカゴジラ 東京SOS | 2003年12月13日 | 手塚昌明 |
第28作 | ゴジラ FINAL WARS | 2004年12月4日 | 北村龍平 |
現在『ゴジラ FINAL WARS』を最後にゴジラ映画は途絶えている、しかし今後一切製作されないという訳ではなく"終了宣言"は「ミレニアムシリーズは終了」という事である。これまでも一旦終了し何年かのブランクの後に再び姿を現した事実を踏まえ、これが最後のゴジラ映画とは限らず「また数年後にゴジラシリーズを復活させるのでは?」と考えるファンは多い。ゴジラ映画に数多く出演した水野久美や佐原健二も『FINAL WARS』のパンフレットで「まだゴジラ映画に出演したい」という趣旨のコメントを残している。
2005年には東宝配給で新作映画「ゴジラ 3-D」と題し2007年公開へ向けての企画が報道された、しかし以後の続報も無く企画自体が消滅したかに思われていた…そして2010年3月レジェンダリー・ピクチャーズとワーナーが共同出資にてハリウッドで新作3D映画として製作を発表…新作のプロデューサーにはアジア映画のリメイクを得意とするダグ・デイヴィソン ロイ・リーらと共に日本からは「ゴジラ対ヘドラ」の監督:坂野義光と奥平謙二が参加2012年公開に向け遂に「ゴジラ」が動き始めた。情報によると前回のようなゴジラではなく日本のゴジラの姿に近く、対決する新怪獣も登場するとか…続報を待とう!